マクロビオティックコラム

マクロビオティックが治すのではない

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私がマクロビオティックを実践していく上で一番大事にしているのは、「自学自習、自力独行の研究心」だ。

これは、創始者の桜沢如一氏が著作の中で口を酸っぱくしておっしゃっていることで、本を通してこう言われるたび、私は闘争心に火をつけられるような心地がした。

食養は、指導者の指導をうけるにしても、あくまでも、自力独行の研究心が必要です。食養は、医者や病院の代りではないのです。』(*1)

自分自身で、自分のために、自分の力で、これを成し遂げなくてはならない』(*2)

自分の力で成し遂げる。その孤高の響きに挑戦欲がわいた。私は元来、独学が好きなのだ。誰にも頼るなというマクロビオティックのあり方は、私の性に合った。

そして、失敗を何十回も繰り返しながら、ようやくマクロビオティックを楽にできるようになって改めて思う。

病気は、マクロビオティックが治してくれるのではない。自分自身が治すのだと。

体の調子が良くないとき、ともすれば外部に原因を求めがちではないか?

あのとき食べた肉のせいじゃないか、アルコールのせいかも、いや、揚げ物が良くなかったか……。

確かにそれらが直接的には体調不良の原因だとしても、もっとも根本にあるのは、「自分の判断」だ。

それを食べると決めた自分の判断力が病んでいたのだ。

だから原因は内部にある。自分自身にある。

マクロビオティックの知恵を使って、対症療法的にいくら体を癒しても、自分自身の判断力が曇ったままでは何度でも病気になってしまう。

マクロビオティックに医者の役割を求めるのではなく、自分が自分の心身にとってもっとも適切な判断を下せる医者にならなければいけない。

マクロビオティック実践者が、体調が悪化したときにマクロビオティックのせいにするのは、私は何か違うと思う。

マクロビオティックは、何も強制していない。実行内容を決めたのは自分なのだから。

たとえば誰かの指導を仰ぎ、思ったような成果が得られなかったとき、「指導の通りにやったのに」と文句を言うのもどうだろう。

本来ならば自分で面倒を見なければいけない自分の体を、他人に委ねてしまった甘さがあったのは認めねばなるまい。

何かのせい、誰かのせいと思えば、苦しくなる。そうならないために、最初から、自分のことは自分で決めるという覚悟と責任を持つべきだ。

自分の体と心に興味を持って、マクロビオティックを勉強して、勉強して、実践して、気付きを積み重ねていく。努力、忍耐、根性しかない。その苦労から逃げてはいけない。

病気は、マクロビオティックが治すのではない。自分で治すのだ。


*1桜沢如一著『新食養療法』p.266
*2桜沢如一著『ゼン・マクロビオティック』p.9
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