マクロビオティックは独学で十分だ。
学校の勉強だって、最後は独学ではないか。教室で、親切にも教師が知識を授けてくれるが、それだけで頭に定着するものではない。必ず、家に帰って、孤独な反復練習をしなければいけない。独りで学ぶことは、どんなケースにおいても必要だ。
教室に通わなければ、勉強はできないのか? そうではないだろう。教師がいない場合は、教師が書いた本があれば良い。それを読めば、授業を受けたと同じだ。
独学では、マクロビオティックの知識が本当に身についたか確かめられない? なら、身につけた知識を実践で試してみれば良い。正しいならば心身の調子が良くなり、間違っているならその逆の結果が出てくるだろう。
失敗したって良いではないか。むしろ、失敗から多くを学べる。失敗が最大の良師と、桜沢氏も言っている。
不安だと誰かに頼ろうとするのは、依頼心が強すぎる。まず自分でつかみ取ろうと決意すべきだ。誰かに教えてもらったなら、失敗したときにその誰かのせいにもしたくなる。だが自分自身の健康は、自分自身の責任においてすべてを引き受けなければいけない。
それに、もしマクロビオティックというものがどこかの教室に行かなければ学べないものだとしたら、なんてつまらないのだろう。そんなものがない地域がたくさん存在する。
最終的に「世界平和」まで視野に入れるマクロビオティックだというのに、個々人で勉強と実践もままならないようでは、日本国内にだって広まりやしない。
マクロビオティックは独りでも十分学べるものだ。そうでなければおかしい。何冊かの本を買うお金さえあれば誰にだって分け与えられる、至高の羅針盤だ。
確かに、重病で治療に急を要しているような場合は、経験のあるマクロビオティック実践者に指導を仰いだ方が安全だろう。
だが、今ある健康を保つために実践するマクロビオティックであれば、誰かに師事しなくてもこと足りる。正しい食物を選ぶ判断力は、すでに自分の中に備わっている。それをいかに磨き上げるかだ。
人間はすべて自然の子であるのだから、「自然な食物を選ぶこと」くらいできて当たり前だ。もっと自分の力を信じることだ。
もちろん教室に通ったっていい。教室に通うことでしかできない体験もあるだろう。ただ、それは、マクロビオティックを自分のものにするのに絶対必要なわけではないということだ。指導者が近くにいないからとがっかりしなくて良いということだ。自分が自分の指導者になるというくらいの意気込みでいれば良い。
私も独りで学んできた! だが、まったく独りだった気はしない。もう、20冊以上読んだろうか。ページをめくるたびに、桜沢氏の声が、久司氏の声が、直接聞こえてくるようだ。お会いしたことはないが、桜沢氏にはお会いすべくもないが、マクロビオティックを教えてくださった先生として私は慕っている。とても親しみを感じる。
独学とは、本の著者から、マンツーマンで個人指導を受けると同じことなのだ。これ以上の贅沢がどこにあろうか。
学んだことを手がかりに自分の頭で考えて、考えて、こうだと思ったことを試してみて、成功したり、悔やんでみたり。その探究の道のりは、常に興奮に満ちている。
独りで学ぶ厳しさは、何にも代え難く面白い。