マクロビオティックコラム

厳しいorゆるゆる? 各人に合ったマクロビオティックを実践し、継続を目指す

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マクロビオティックを実践するのに、「できるところからでいいんだよ、少しずつでいいんだよ」という声はよく聞くが、「厳しくしないとダメだよ」というのはあまり聞かない。

だが私は、マクロビオティックはある程度厳しくやってこそその楽しさもわかるし、効果も得られるのではないかと思っている。

現在、私は、好きだったスナック菓子や和菓子への執着が断ち切れ、「食べなくても平気でいられる」という楽な境地に立っている。

ここまで来られたのは、「食べちゃいけない!」と自分を常に戒め、誘惑に負けて食べてしまったらそのあやまちを認めて反省し、「次こそは!」と向上を目指し続けたからだ。

何かに縛られたような苦しい日々だったが、そこを抜けて初めて、自由を得るためには苦労が必要だったのだとわかった。

スナック菓子も、甘いおやつも、「食べてはいけない」と、本当は食べたいのを自分に禁じて食べないでいるより、「食べなくても平気」だから食べないという方がどんなにいいか。

結果的に「食べない」ということは同じでも、ストレスがまったく違う。

マクロビオティックを始めたからには、ぜひみんなにもこの境地に立ってほしい。そして、自由で楽しいマクロビオティック、ラクチンでたまらないマクロビオティックというのを味わってほしいと思うようになった。

そうしたときに葛藤が生じた。食べなくても平気……この平野を見るためには、「食べちゃダメ!」という我慢と忍耐の期間が必要なのだ。

「できるところからでいいんだよ、少しずつでいいんだよ」と言うことが、本当にその人のためになるのだろうか。

少しずつやろうという気持ちで乱れたものを食べることを頻繁に自分に許していたら、いつまで経っても欲望と執着が断ち切れず、苦しいままだ。

苦しみが続くことを知っていて、それでも「少しずつ」と言って良いのだろうか? 「なるべく自分に厳しくいた方が、早く楽になるよ」と知らせた方が愛があるのではないか?

だがそれを母に言うと、「厳しくやれと言われたらやりたくなくなる。やらないよりちょっとでもやった方がマシなんじゃない?」と返された。

確かにそうだ。それまで外食とファーストフードばかりだった人が、たとえ白米や肉の食事でも自炊の回数を増やすのなら、マクロビオティック的には大進歩だ。

厳しさがあった方がマクロビオティックの自由な境地を早く体験できる。けれど、ゆるゆるやった方が長続きする人もいる。

どちらが大切なのか? マクロビオティック実践において最も重要なのは何か?

考えて、「継続することだ」と結論を出した。

マクロビオティックでたどり着ける、食への執着のない状態というのは、極楽のように素晴らしい。けれどそこへの到達を急ぐのなら、イバラの道を歩まねばならない。

イバラの道を切り開いてでも先を早く見たいという人もいれば、「そんな傷だらけになってまで自由な土地なんぞに行きたいとは思わない」という人だっている。

だったら、そういう人には、遠回りになるけれど平坦な道を勧めれば良い。イバラの道だけがルートではない。

イバラの道を強硬に勧めることによって、大勢の人がマクロビオティックから逃げていってしまうのは悲しい。

自由の地を見てしまった者としては、早く同じ体験をしてもらいたいばかりに「厳しめの方がいいよ!」と言いたくもなってしまうけれど、それはおせっかいというものだろう。

同じおせっかいをするならば、各人の希望を汲んだ上で、なるべく効果があり、なおかつ長く続けられる方法を提案するのが最善だ。そう思い至り、マクロビオティック最適スタートレベル診断を作成したりもした。

長く続けてさえいれば、どんなに時間はかかっても、いつか必ずその平安の地へたどり着く。だったらそれでいい。

歩む速度や道のりは各人が自由に選ばなければいけない。

そうしてこそ、マクロビオティックはその人の人生の一部となり得るのだ。


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