マクロビオティックコラム

アトピー性皮膚炎との歩み~2.除去食で成長

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その1からの続き)「卵、肉、牛乳の食物アレルギー」と診断され、離乳食から除去食をスタートさせた私。

小児喘息やとびひなどアレルギー性の疾患に次々とかかったが、小学校に上がる前には皮膚症状が出る範囲はだいぶ狭くなってきていた。

入学後は給食が始まる。給食では、保育所の頃のように一人だけ除去食を作ってもらうわけにはいかない。自分でアレルゲンを避けて食べる必要がある。

この訓練も、保育所時代に十分積み重ねた。どんなメニューに何が入っているのか教わり(たとえばラーメンの麺や茶碗蒸しには卵が入っている、グラタンには牛乳が入っている、など)、市販のものを買うときは母とともに必ず裏の原材料表示を見て、アレルゲンが入っていないかチェックをした。

母は、食の安全に気を配った家で育ってきて、自身も家庭科の教員であるため、アレルゲンだけでなく添加物の入っているものも避けるようにと私に教えてくれた。

おかげで、5歳の頃には、原材料表示を見てアレルゲンの有無だけでなく添加物までもわかるようになっていた。

入学前のある日、近所の雑貨屋に行ってお菓子の袋の裏を見ていたら、店主のおばさんに「何を見ているのか」と聞かれた。「添加物が入っていないかどうか見ている」と答えると、「漢字が読めるのか。読んでみろ」と突っかかってくる。乳化剤はかろうじて読めた。だが、「香辛料」を「こうかりょう」と読んでしまった。

鬼の首を取ったように「ほら読めないんじゃない」とせせら笑われ、とても傷ついたのを覚えている。音読できなくても字の形で覚えていたのだから問題なかったのに。子どもが添加物をチェックしていることが、そのおばさんにしてみたらよほど気にさわったのだろうか。

たとえ子どもであろうとも、自分の身は自分で守らねばいけないというのに。

さて、そんな風に食の知識をつけた上での給食だったから、皆と同じメニューでありながら除去食として食べるのにもそう苦労はしなかった。肉や卵は残す。原材料にアレルゲンが入っていると知っているものも食べなかった。牛乳は最初から止めてもらっていたので、飲み物はなし。水筒も持っていかなかったので、何も飲まずに食べることにすっかり慣れてしまった。

ここは、「水分をあまり摂らない」というマクロビオティックの教えに図らずも合致していたことになる。排尿の回数が一日に二回ほどで、皆に比べ妙に少ないので、ちょっと不安になったりもしていた。

肉も卵も牛乳も摂らず、水分も少なく育った私だったが、成長状態は良好だった。余分な脂肪がなく、痩せていた。10歳のときの健康診断で、前回より身長は伸びているのに体重は減っていて先生に心配されたこともあったが私はいたって平気だった。

身長は後ろから3番目くらいで、高い方。マラソンや縄跳びが得意だった。

風邪はたまにひいて、一度ひくと一週間ぐらい長引いた。やはり、アレルギー体質なので、あまり体が強くなかったのかもしれない。それでも、年齢を重ねるごとに風邪をひく頻度は減っていった。

アトピー性皮膚炎とは、ステロイド剤を塗りながら付き合いを続けていた。保育所の頃より良くなったとはいえ、皮膚の柔らかい首や肘の裏、膝の裏には湿疹が出やすかった。

手首や指の関節部分があかぎれのようにひび割れて痛がゆかったのが一番気になる症状ではあったが、それでも除去食のおかげで局所的な湿疹にとどまっていたのは幸いだった。

だが、その「除去食」も、いつも完璧というわけにはいかない。ときには、どうしても我慢できなくて、給食のベーコンエッグを家まで持ち帰ってこっそり食べたりしたこともある。

食べちゃいけないと戒めているからだろうか、天にも昇るほど美味しく感じられ、容器の銀紙にへばりついた白身まではがして食べた。でもそんな私にムチをすえるようにすぐ湿疹が出る。ああ、やっぱりダメだなあ……と反省しながらも、また、ほとぼりが冷めたころに同じことをやってしまう。

アレルゲンを食べるのを我慢するのは、マクロビオティックのルールを守ろうとして自制しているときの気持ちによく似ている。

(「アトピー性皮膚炎との歩み~3.浪人時代の脱ステロイド」に続く)


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