私はマクロビオティックをやっていて、「苦しい」と思ったことがない。なぜか? それはおそらく、いつもマクロビオティックに反発しているから。
私は、マクロビオティックの教えを従順に真に受けたことはない。
信頼はしているから、言っていることも正しいのだろうとは思っている。マクロビオティックは私にとって、その内面を推し量ることもできない、偉大な親のような存在だ。尊敬している親の言うことは、とりあえず聞いておくものだ。
だが、いくら親の言うことでも、腑に落ちないことはある。そんなときはいくらでも反発する。
トマトがダメだって? なぜ? トマトって赤いよね。赤って陽性なのに、なぜ極陰なの?
魚もあんまり食べない方がいいって? どうして? 確かに人間が食べるものとしては植物の方が陰陽の序列から言ってもより自然と言えるとは思うけれど、魚は日本人が昔から食べてきているものだよね。伝統食と言えるんじゃないの?
反発し、考えに考える。そして、少しずつ自分で答えを見つけていく。
トマトはナス科。ナスのあの色を見てよ。あんなに深い紫ってないよ。だからナスが極陰というのは納得できる。そのナスの親類だから、きっとトマトも陰性なんだ。たとえ赤くても。
魚は、食物連鎖で言えばけっこう上の方だよな。つまり汚染の濃度が高まっている。清潔な海で育った魚ならあまり問題はないかもしれないけれど、現代の海で育った魚には毒が濃縮されているかもしれない。だから多分、あまり魚は食べない方がいいんだ。
この答えが、正しいかどうかは問題ではない。大事なのは、自分で答えを導き出し、納得するということ。
トマトはダメですと言われたとき、はいそうですかと簡単に従ってしまっては、その教えは押しつけになってしまう。命令にただ従う人間に自由はない。そこに苦しさが生まれる。
納得できないならとことん反発した方が良いと私は思う。親の敷いたレールに何も考えず乗ってしまう方が簡単だけれど、そこから飛び降りて自分なりの道筋をつけていかなければ、いつまでも「自分の人生」にならない。
反発した結果、マクロビオティックの教えとは違うところに自分なりの答えを見つけた場合、そちらに重きを置くのが良いと思う。魚に関して、私は、食べても湿疹が出ないのでそこまで良くないものだとは思っていない。
マクロビオティックのことは信頼している。だが、自分のことはもっと信頼している。私は、自分にとって良くないものを食べれば湿疹が出る体で生まれてきた。だから、湿疹の出ない食べ物は、基本的に敵対視しない。そして、その自分の判断を一番大事にする。
結果、体調が崩れてしまったなら、そのときにまた考えれば良い。最終的に「やはりマクロビオティックの言っていたことは正しかった」と頭を垂れることになっても、最初から服従するのと気持ちはまったく違う。
マクロビオティックは大きな存在だから、ちょっとこちらが歯向かったところで微動だにしない。寛大に、にこにこと見ていてくれる。だから私もマクロビオティックの前で、大いに暴れるのだ。
マクロビオティックを苦しみなく実行したければ、マクロビオティックに抵抗せよ。もっと怒れ、もっと悪態をつけ、もっと問いつめろ。挑戦的な態度が、マクロビオティックをもっと面白くする。
臆することなんてない。自分の方が正しいんだと胸を張って、マクロビオティックと同等に渡り合えばいいと思う。
陰と陽の相克から躍進が生まれる。考えることを面倒くさがってはいけない。自分で考え抜いて出した結論に悔いはないし、そうすることでやっとマクロビオティックが自分のものになるのだ。