胡散臭いとか、宗教っぽいとか、そんな疑惑の眼差しを向けられることもあるマクロビオティックだけれど。
私はマクロビオティックの主張は信頼に足ると、最初に直感した。その思いは今も変わらない。
けれどそれも全部ひっくるめて、マクロビオティックは面白い。変なことを言うなあと苦笑混じりに思いながらも、拒絶感を抱くには至らない。きっと正しいことを言っているのだと思えるからだ。
なぜマクロビオティックの方法論を「正しい」と思えるのか。それは、マクロビオティックに欲がないからだ。
マクロビオティックというものは、実行するのに特別な道具が必要なわけではない。そのへんで手に入る新鮮な米や野菜があれば良い。高い授業料を求められるわけでもない。本を一冊も買えば十分だ。
実践したからと言って誰が儲かるわけでもない。個々人の健康が増進されるだけだ。
マクロビオティックは、見返りを求めずに、ただこちらのためを想って様々なアドバイスをしてくれているのだ。私にはそう思える。とてもオープンで太っ腹だ。
拒否したからと言って責めるわけでもなく、受け入れたからと言って褒めてくれるわけでもない。おせっかいなようでいて、最後は「ま、どうするかはあなたの自由だけどね」と突き放す。その、ある種のつれなさが好きだ。
マクロビオティックは聖人ヅラをしていない。あまりに突っ込みどころが多すぎる。人間味にあふれている。可愛くすらある。「元気が出なかったら、玄米ご飯をよく噛んで食べるんだ!」なんてとぼけた助言がどこにあるか。だから親しみを覚える。
結局のところ、「愛」なのかもしれない。マクロビオティックには愛を感じる。我が身を犠牲にしてでも子どもを助ける親のような、深い愛を感じてしまうのだ……。
「砂糖をそんなに毛嫌いすることないジャンかよっ」と悪態をつきながらも摂取量を減らしてみたら風邪をひきにくくなったり。「醤油だけで味つけるなんて、無理矢理すぎる……」と怯えながら作ってみたきんぴらが美味しかったり。
「母さん、俺が間違っていたよ。ごめんよ」という経験を積んで、ますますマクロビオティックへの信頼感は強まってきている。
おそらくこの調子で、マクロビオティックの知恵に驚く人生が続くだろう。そして死の床で、「マクロビオティック、ありがとう。おかげで精一杯生きられた」と感謝するのだろう……と、今からそんな気がしている。