ああ、肉が食べたい、砂糖菓子が食べたい、でも食べちゃ体に良くないことはわかっているし、実際、食べると調子が悪くなる。けど食べたい、我慢できない、ああ~、この手が言うことをきかな~い!
……という葛藤は、執着を落とす前の段階にあるマクロビオティック実践者特有のものだと思っていた。
だが今日、ネット上で、これと同じ状況にある人を見た。
『飲むと胃が痛くなるからやめた方がいいとわかっているのに、どうしても起き抜けのコーヒーがやめられない。』
マクロビオティックをやってもいないのに、マクロビオティック実践者のような葛藤を抱える人が世の中にはいるんだ……ということが、私には驚きだった。
マクロビオティック実践中なら、葛藤ののちに向上、健康が待っているから良いけれど、そうではないなら、「やめたいのにやめられない」と悶々するのはあまり生産的とは言えない。
結局本気でやめる気もないからやめられなくて、いつまでも罪悪感を抱えながら飲み食いするハメになるだけではないか。
マクロビオティックばかり「制限があって厳しそう、苦しそう」なんて言われ方をされるけれど、マクロビオティックを実践していない人たちも十分に苦しそうだ。
いや、制限がない分、マクロビオティックを実践していない人の方が苦しみは上だろう。欲望には際限がなく、抑える理由が見つからない限り、理性だけでは対処しきれるものでもないからだ。
マクロビオティック実践者の葛藤は、やがて終わることが約束されている。食べない方が良い理由を知り、食べない努力をし続けることで、食べなくても平気でいられる体と心を手に入れるのだ。
マクロビオティック無双原理だ。ハジメあればオワリあり、制限あれば自由あり。
制限のないところに自由はない。
何でも欲望のまま好きに食べるのは、決して自由なことではないのだ。逆に、欲望に縛られてしまう。
言えば単なるおせっかいになるから、心の中でだけつぶやく。
胃が痛むのに、その訴えを無視してコーヒーを飲みたがる欲望を、おとなしくさせる方法があるんだよ。
それはね、マクロビオティック……。
同じ「やめたいのにやめられない」と思い悩むのなら、マクロビオティックをやってしまった方がお得だ。
けれど言うまい。どんなに素晴らしいことでも、押しつけてしまえばその人にとっては騒音にしかならない。
私は私の道を歩みながら……。彼が、自分だけの健康の道を見つけることを祈ろう。