マクロビオティックコラム

好きなものについて語る~嫌いなものについて語るのは悪口になり、誰かを傷つけ、最後には自分も傷つくことになる

シェアする

悪口を言わない」ということにも通ずるのだが、私は何かについて語るとき、対象を"好きなもの"に限定するようにしている。

好きな歌、場所、食べ物、小説。いつから好きなのか、どこがどういう風に好きなのか、とにかく「好き」という軸を外さないようにする。

あまり気に入らなかったものについては語らない。なぜ気に入らないのか、どこが気に入らないのかを語るのは悪口と同じだ

悪口は誰かを傷つけるのだ。ということは、自分も傷つくということだ。

批判レビューしていた頃に受けた攻撃/h2>

そんなことは特に意識していなかった大学生の頃。私はよく、読んだ本や行ったレストランの感想を書いてインターネット上で公開していた。

思ったことを何でも書くのが良いと信じていたから、いやだと感じた点があれば徹底的にあげつらい、批判した。

だがそうすると、必ずと言っていいほど攻撃し返された。当時は腹が立った。なぜ? 私はいやなのだから、いやだと書いて何がいけないの? 他にも大勢、私と同じ考えの人がいるのに。

自分が嫌いなものを好きな人がいる

しかしやがて気づいた。たとえ99人が好ましく感じないものでも、たった一人、それを好きな人がいる

その人にとったら、自分が好きなものを貶されるのはどんなに悲しく、悔しいことだろう。批判し返したくなるのも無理はない。

私には、誰かを傷つける意図はなかった。ただ、言いたいことを言っているだけだと思っていた。

だがその「言いたいこと」の内容が「悪口」の場合、誰かが傷つき、痛みが自分にも返ってきてしまうのだ。

そこまでしたい批判は無い

バカらしい。そんな、自分が手傷を負う可能性を生んでまでしたい批判などない。私は、いやなものについて語ることをやめた。

今だって、ときにはあまり好みではないものに出くわすこともある。なにか自分のお金や時間を損したような気分になり、一言文句をつけたくなるときもある。けれど言わない。

言ってしまったときに返ってくる刃の重さ、それで斬られるときの痛さを知っているから。

気に入らないものがあれば、もうそこに行かないなり、買わないなりすれば良いのだ。自分だけの学びにすれば良い。

気に入ったもののことだけ喋る

そうして口をつぐんでいるうちに、悪感情も去り、心は静けさを取り戻してゆく。

代わりに、気に入ったもののことだけ楽しく喋っていれば良いのだ。世界にバラの花びらをまくようなものだ。

自分も嬉しいし、相手も、悪口を聞かされるよりは気分が良いだろう。

劣った比較対象は出さない

「好きなものを語る」ときにも注意が必要である。

劣った比較対象を出さないということだ。

たとえばAが好きだとしたら、「Aが好き」とだけ言う。「BよりAが好き」とは表現しない。

「BよりAが好き」と言ってしまうと、BをAより低く評価していることになり、Bの悪口を言っているのと同じになってしまう。

何とも比較しないで、好きなものを、ただ好きと言う

好きなものを語るとき、肯定的なパワーが生まれる。そのパワーは相手に伝播し、めぐりめぐって自分に返ってくる。

どうせ再び受け取るのならば、刃ではなく、熱いエネルギーの方がずっと良い。

好きなものについて語るのは、最終的には、やっぱり自分のためなのだ。


運営者紹介

マクロビオティック羅針盤」運営者の遠藤です。

当サイトでは、マクロビオティックを初歩からQ&A形式で解説しています

マクロビオティック的に最もお勧めしたい献立「おにぎり・ごぼう汁定食」について「栄養学からも検証済み! 失敗しないマクロビオティック献立は?」で解説しています。

他に、メインブログとして「健康探究ブログ」を運営していますのでよろしければ遊びにいらしてください。

北海道旭川市在住。お茶の水女子大学卒業。

サイト説明詳細・運営者プロフィールはこちら

関連記事

心の健康道…体の健康だけではなく

体の健康にさえ留意すれば無条件で心が健康になるかと言ったらそんなことはない。体の健康を保つために食べ物や運動など様々なことに気を配るのと同じように、心の健康の獲得にも意識的な努力が必要となる。

悪口を言わない・その1

汚れやすく傷つきやすい自分の心を、悪から守らなければいけない。最も警戒しなければいけないのは、自分の内側から来る悪である。たとえば、誰かや何かに対する悪口。

悪口を言わない・その2

悪口を言いたくないのなら、そもそも、相手を分析してはいけない。私は、目に映じたものすべてに対し、「何も思わない、何も感じない」ようにする訓練を始めた。

卑下しない

ふざけてでも、自分に対し失礼なことを言ってはいけない。自分を貶めることで相手を相対的に優位に立たせようとするのは、相手にとっても失礼なことだ。

良心の痛むことはしない

私は、おこなって、どこか罪悪感を抱いたり、後ろ暗くなるようなことはしないようにしている。自分を傷つけないために。心を清らかに保つために。堂々と明るく生きるために。

心が暗くなるような情報は遮断する

心に層を成す暗闇を蹴散らすことに躍起になったときにおこなったことの一つが「心が暗くなるような情報は見ない・聞かない」ということだった。

人のためになることって何?

人の役に立つとはどういうことか? 大仰なことはできなくても、人の気持ちを励ましたり、勇気づけたり、楽しませたり、ちょっとでも明るくさせたりできれば、十分に人の役に立てていると数年かけて気づいた。

否定的な言葉はやわらかな言い回しに変える

断定的な否定形の言葉というのがある。「悪い」や「嫌い」などだ。私はそれらの言葉を日常で使わないよう強く意識している。

怒りを手放す方法「寛容」について~許してやれと自分に語りかける。愛さないけど憎まない。

ある人から言われたささいなことを五年も根に持ってどうしても怒りを捨てきれずに苦しんでいたのですが、「寛容」を意識することで急に楽になりました。許してやれ、と、自分に語りかけるのがコツ。

自分を自分で怒らない、責めないことの大切さ~自分を許すと楽になる

過去の失敗行為を思い出して「ああすれば良かったなあ」と後悔するとき、自分を慰め励ますのも良い手なのですが、許してやれ、と自分に語りかけると、もっと根本から楽になれました。

ランダム記事

マクロビオティックで自炊力アップ

マクロビオティックのおかげで、自炊力、生活力がアップしました!

欲望がぶり返して白砂糖摂取のせいか親知らずが虫歯になる。生理は復活~マクロビオティック実践記7

マクロビオティックを始めて10ヶ月。だいぶマクロビオティックも慣れてきた頃だろうという油断からフランス料理を食べ、欲望をぶり返させてしまいます。ついでに親知らずが虫歯になりました。

マクロビオティックの食は、制限ではなく解放~果物、水を摂りすぎないで良いというのが嬉しい

マクロビオティックで言われる「なるべく食べない方が良い」とされるものについて、私は「制限」というより「解放」を感じることが多い。たとえば果物も水も、私があまり得意でなかったものだ。これをマクロビオティックは「多く摂らない方が良い」と言ってくれた。私には救いとなった。

マクロビオティックを巣立った後の食生活・その2【マクロビオティック卒業から五ヶ月目】

マクロビオティックを卒業してから五ヶ月目の食生活を、写真入りで紹介。納豆ご飯・ごぼう汁定食、胚芽ビスケット、りんご。意外と節制が効いています。

初めての「食養第一期食そばパン作り」体験記~栄養バランス良く、副菜いらず

桜沢如一氏著「新食養療法」にマクロビオティック開始直後の「第一期食」として掲載されていた謎の食品「ソバパン」を作ってみました。

マクロビオティックコラムカテゴリー別記事一覧
マクロビオティックを考える
マクロビオティックフリートーク
マクロビオティック失敗談・初めての体験記
マクロビオティック実践記
アトピー性皮膚炎との歩みシリーズ
7号食実践記シリーズ
マクロビオティックからの卒業
マクロビオティック卒業後コラム
心の健康
運営者ブログ新着記事