マクロビオティックコラム

人生が先、マクロビオティックは後。

マクロビオティックの知識を、何のために普段の食生活に生かすのか。

第一段階としては健康のため。健康なことはいい。どこも痛くない。頭も冴えている。健康でさえあれば何でもできる気がする。

この「何でもできる気がする」というのがポイントなのだ。マクロビオティックで得た健康で、「何をするか」。これが第二段階。私がマクロビオティックを実践するのは、主にこのためだ。

やりたいことを、病気に邪魔されずやるためだ。

私には人生でやってみたいことがたくさんある。体が痛かったり、精神が乱れていたりすると、思ったような行動がとれない。だから、マクロビオティックの知恵を利用して、良い仕事をするためにベストコンディションを保とうというのだ。

だが、マクロビオティックの理論に正確に沿おうと努力すると、底なし沼にはまりこんでいく。今の自分は陰? 陽? 何を食べれば中庸になる? 小松菜? 大根? ゆでると陽で、生だと陰。細かく切る? 大きく切る? 塩の量は? 油の種類は?

頭の中がそんなことでいっぱいになる。まるでマクロビオティックに生活のすべてを支配されてしまったかのように。

とらわれる。罪を犯さないように緊張する。当初の目的はどこかへすっ飛び、いつの間にか「正しいマクロビオティックをするために」躍起になってしまっている自分に気づく。

正しいって何? マクロビオティックはもっと自由で柔軟なもののはずだ。こんな息苦しいのはおかしい。私は、自分の人生を愉快にするためにマクロビオティックを学び始めたはずだ。マクロビオティックの奴隷になるつもりはない。私の人生を輝かせるために、マクロビオティックはあるのだ。主役は私だ。

その日に何を食べるかは、迅速に判断する。正しいか正しくないかは考え込まない。自分の判断力を信じる。私はあれだけ勉強したではないか。夢にまでマクロビオティックのことが出てくるくらい、毎日毎日考え続け、実践してきたではないか。その私が私に対し下す決定なら、信頼できる。

調理方法にはこだわらない。切り方も、火の通し方も、どうだっていい。主食の玄米と、旬の野菜、海藻、豆。伝統製法の、味噌、塩、醤油。その基本だけおさえれば十分だ。あとは気分次第。食べたいものを、好きに作る。

体を元気に保つ食の知恵をマクロビオティックは授けてくれる。その知恵を使うと、最小限にして最大の効果をあげる食事が作れて、いきいきと活動できる。マクロビオティックは私の助手だ。私の人生がうまくいくように、手を貸してくれる。助手に感謝はするけれど、主導権を渡してしまってはいけない。私がリードしなければ。

人生が先だ。絶対に先なのだ。人生の質を上げるためにマクロビオティックが利用できるというだけだ。

確かに、マクロビオティックという概念に初めて触れて、学び始めたばかりならば、じっくり考えて勉強する時間も必要だろう。だがそれでも、「人生のため、やりたいことを思いきりやるため」という大前提は忘れてはいけない。

マクロビオティックは、手中にしてしまえば本当に便利な知恵だ。遊び道具でもある。マクロビオティックに振り回されるのではなく、マクロビオティックを振り回して、楽しくパワフルな人生を生きていきたい。


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