マクロビオティックコラム

自分をマクロビオティック実践者だなあと感じるとき~白砂糖に反応

普段の生活において、自分をマクロビオティック実践者だとことさらに意識することはない。

農薬のなるべくかかっていない野菜を選ぼうとするのも、玄米を食べるのも、動物性食品を避けようとするのも、そのようなものを食べた方が体調が良いからであって、「マクロビオティックのルールとして定められているから」と戒律を守るような気持ちから強制的におこなっているのではない。

マクロビオティックのルールに沿って慎重に食物を選ぶ時期を越え、自分とマクロビオティックとの一体化がどんどん進んでいるのを、ここ数ヶ月で強く感じている。

マクロビオティックと自分の境目が曖昧になってきたから、「これはマクロビオティックの考え方だ」とマクロビオティックを自分の中で異物のように感じることもなくなったのだ。

マクロビオティックを学ぶ前の自分がどんな意識だったか、どんな思考回路だったか、その感覚をリアルに思い出すことはもはやできない。自分は確かに変わった。だがその変化は、新緑が夏に向けてその色を濃くしてゆくかのようにあまりにゆっくりで自然なものだったから、いつどこがどんな風に変わったのかが自分でもよくわからない。

自分はマクロビオティック実践者だと意識することもなくなるくらい、マクロビオティックはある意味では私から遠のいた。

このままマクロビオティックとの同一化が進めば、しまいにはマクロビオティックのことなど忘れてしまうのでは? そんな風に感じることもあるくらいだった。

だが、先日、マクロビオティックが「異物」として、私の中でその存在をあらわにする経験をした。数年ぶりに訪れた、和食レストランのお土産売り場でのことだ。

  そのレストランは酒蔵に併設されたもので、お土産売り場では酒や酒粕を使ったお菓子が売られている。レストランの順番待ちでお土産売り場をうろついていたときに、カウンターのカゴに陳列してあった梅酒に私は手を伸ばした。

原材料の一番初めは「青梅」だった。だが、最後の方に「砂糖」がある。砂糖が入ってるんじゃあね……。そう思って梅酒を元の場所に戻そうとしたとき、カウンター越しに店員が話しかけてきた。

「試飲もできますよ? よろしければいかがですか?」

あっ、と、私は一瞬ためらった。私は元々梅酒が好きで、数年前ならその申し出を喜んで受けていたはずだった。

タダで、好きな梅酒の味見ができる。その事実に惹かれそうになる自分の前に、「砂糖が入っている」という壁が立ちふさがった。

白砂糖が入っている。飲まない方がいい。私は、店員に「いえ、大丈夫です」と笑顔で答え、梅酒コーナーから離れた。

歩きながら、自分自身に驚いていた。砂糖が入っているという理由で、魅惑的な申し出を断った。前だったら、絶対にそんなことはなかった。

次に、酒粕まんじゅうに目が留まった。白い和紙で個包装され、美味しそうだ。

原材料表示を見る。小麦粉、砂糖、白あん、酒粕。「砂糖!」私はすぐさま商品を元に戻した。

そして、そこまで砂糖に反応している自分に再び驚き、おかしくなった。

幼児の頃から、アレルゲンと添加物を避けるために原材料表示を見る習慣があった。けれど以前の基準であれば、酒粕まんじゅうはクリアのはずだった。無添加だし、アレルゲンも入っていない。

それなのに、「砂糖」が入っているからと買わなかった。砂糖が、自分の中で添加物と同じ扱いになっている。どれだけ砂糖を避けているんだ。これは、間違いなくマクロビオティックの影響だ……。

私はマクロビオティック実践者なのだなあ……。しみじみと、そう感じた。

もし、マクロビオティックのことを思い出せなくなるくらい一体化する日が来るとしても、それは体の中にマクロビオティックが溶けて消えてしまったのではなく、臓器の一つのようにマクロビオティックが組み込まれたということなのだと思う。

たとえば胃袋の存在を普段は感じなくても、脂っこいものを食べ過ぎたりして胃の健康が脅かされれば、途端にもたれや吐き気で胃袋は私たちにその存在をアピールし、それ以上の愚を回避するよう訴える。

同じように、体に組み込まれたマクロビオティックは、 避けた方が良い食べ物に出くわしたときに「食べない方が良い!」と判断力の最先端に立ち現れ、行動をコントロールしてくれるのだろう。

いつもは静かに見守っているだけなのに、いざとなったらその人間を全力で救おうとするなんて、マクロビオティックとは守護霊のような存在だなとも思う。

レストランに空席ができ、店員に呼ばれて席についた。注文した会席料理のところどころで見つけた怪しい食べ物(合成着色料を使っていそうな漬物やキンカンのシロップ漬け)を巧みに避けながら、順調に最後の水菓子にまでたどり着いた。

そこで「うっ」と手が止まる。正月だったせいか、苺やキウイの隣に、茶の席で出てきそうなめでたい桃色の立派な和生が、水引とともに鎮座していた。

和生は、はっきり言って砂糖のかたまり。私の中のマクロビオティックセンサーが、強烈に「食べない方が良い!」と反応する。

とは言え、全部残すのは、せっかく用意してくれた料理人の心を無にするようで何となく気が引ける。私はこっそり、その菓子をテーブルに備え付けの紙ナプキンにくるんで、水引と一緒に持ち帰った。

和生

砂糖のかたまりだからと和生を食べないあたり、マクロビオティック実践者の証のようでちょっと誇らしくも感じる。

しかしこの和生、一体どうしよう? 


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