食養人生読本
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「食養人生読本」を読んだ感想
マクロビオティック(食養)が無味乾燥な戒律ではないということがはっきりと書かれています。
『のめるけれど、飲まない。食えるけれど食う必要を認めないから食わないが、食わねばならない時がもしあったら、それを飲み、かつ食ってもビクともしない、というような体格を作るのが食養です。』(p.99)
日頃、マクロビオティックの基本的な決まり事に対し、それが絶対ではないとわかっていながらもどこか「これを厳格に守らなければマクロビオティックとは言えないのではないか」と不安感を拭いきれずにいたのが、上の記述によってぱーっと楽になりました。
そう、マクロビオティックって、病気を治すときは厳格に実行する必要があるけれど、健康になり、宇宙の秩序を身につけた後は、もう自由自在なんですよね。なんだかいかめしい、厳しい印象があるけれど、本当はこの上もなく解放された、自然な哲学なんですよね。
そんなマクロビオティックの本来の魅力、輝きを感じられる一冊です。
『食養にこだわるな』(p.127)は痛快です。さまざまな理由で食養ができない人を、『それができなければ死んだらいいじゃありませんか。それで病気が治らなかったら諦めてもいいじゃありませんか。生きて行くのも人生ですが、死んで行くのも人生です。死もまた我らです。わずか人生二万日くらいなものです。』(p.129)と、非常な軽やかさで突き放します。
この、こだわらない開けきった心こそ、マクロビオティックの要なんですよね。そうか、こだわらなくてもいいんだと思えば晴れやかで、逆に真実のマクロビオティックができるようになる気がします。
『食養にとらわれてはいけません。食養の原理、無双原理、宇宙の秩序をつかまえなくてはダメです。』(p.133)
恋愛、結婚、妊娠、出産、家庭に至るまで、桜沢氏の理論が展開されており、初版が昭和15年だからか描かれる女性像、男性像が古式ゆかしい感じですが、それはそれでとても興味深かったです。私が読んだ桜沢氏の著作の中では、一番エッセイ風で読みやすく、語り口もユーモアにあふれ、何カ所か声を出して笑ってしまいました。
『のめるけれど、飲まない。食えるけれど食う必要を認めないから食わないが、食わねばならない時がもしあったら、それを飲み、かつ食ってもビクともしない、というような体格を作るのが食養です。』(p.99)
日頃、マクロビオティックの基本的な決まり事に対し、それが絶対ではないとわかっていながらもどこか「これを厳格に守らなければマクロビオティックとは言えないのではないか」と不安感を拭いきれずにいたのが、上の記述によってぱーっと楽になりました。
そう、マクロビオティックって、病気を治すときは厳格に実行する必要があるけれど、健康になり、宇宙の秩序を身につけた後は、もう自由自在なんですよね。なんだかいかめしい、厳しい印象があるけれど、本当はこの上もなく解放された、自然な哲学なんですよね。
そんなマクロビオティックの本来の魅力、輝きを感じられる一冊です。
『食養にこだわるな』(p.127)は痛快です。さまざまな理由で食養ができない人を、『それができなければ死んだらいいじゃありませんか。それで病気が治らなかったら諦めてもいいじゃありませんか。生きて行くのも人生ですが、死んで行くのも人生です。死もまた我らです。わずか人生二万日くらいなものです。』(p.129)と、非常な軽やかさで突き放します。
この、こだわらない開けきった心こそ、マクロビオティックの要なんですよね。そうか、こだわらなくてもいいんだと思えば晴れやかで、逆に真実のマクロビオティックができるようになる気がします。
『食養にとらわれてはいけません。食養の原理、無双原理、宇宙の秩序をつかまえなくてはダメです。』(p.133)
恋愛、結婚、妊娠、出産、家庭に至るまで、桜沢氏の理論が展開されており、初版が昭和15年だからか描かれる女性像、男性像が古式ゆかしい感じですが、それはそれでとても興味深かったです。私が読んだ桜沢氏の著作の中では、一番エッセイ風で読みやすく、語り口もユーモアにあふれ、何カ所か声を出して笑ってしまいました。
(2008.6.20)