この健康法で病気を治した道のり

「玄米・ごぼう汁基本食健康法」の開発と一歩ずつの回復

玄米・ごぼう汁基本食健康法の開発

その3(マクロビオティックからの卒業)からの続き)

一ヶ月半に三度も病を繰り返したせいで地の底まで落ちているであろう免疫力・抵抗力を、自分なりの食養生で根底から復活させていくと決意した私。

それまでの二年半のマクロビオティック実践経験を踏まえ、自分の性格と体質に一番合った食事法として編み出したのが、玄米・ごぼう汁基本食健康法でした。

この健康法において、まず、核として据えたのが「玄米・ごぼう汁基本食」です。

自分が一番健康だった頃の献立

「玄米・ごぼう汁基本食」の一番のベースとなっているのが「玄米おにぎり・ごぼう汁基本食」ですが、これは、私がマクロビオティックを実践している時代に見つけた、自分の体調を最高に整え上げてくれる献立です。

(詳しくは、『おにぎり・ごぼう汁定食誕生秘話』参照)

胃袋がまあるく、バランス良く満たされ、体にエネルギーが満ちる食事内容です。2008年に、実験も兼ね、ほぼ「玄米おにぎり・ごぼう汁基本食」だけで半年暮らしていたことがありますが、そのとき、私は生まれて以来最高の健康状態を手にしていました。

自分が一番健康だったときに、食べていた献立。

私は自身の健康回復を、この「玄米・ごぼう汁基本食」に託すことにしました。

他は何を食べても良い

しかし、「玄米・ごぼう汁基本食しか食べてはいけない」という制限を設けては早々に挫折することが予想されました。

そもそも私が病気になったのは、マクロビオティックにおけるがんじがらめの制約が息苦しくて、それを破ろうと無茶をしたからです。

なのにここでまた、「玄米・ごぼう汁基本食」だけしか食べてはいけないと自分を縛れば、同じあやまちを犯してしまう。

そこで私は思いきって、一日一食「玄米・ごぼう汁基本食」さえ食べたら、あとは何を食べても良いというルールを作ることにしました。

これは、マクロビオティック実践時に得ていた、「基本の食事さえしっかりしていれば、他に多少の乱れがあっても体調は崩れない」という確信(詳しくはマクロビオティックコラム『ハメを外すための節制~要はメリハリ』参照)から導いたルールでした。

ここに、私という人間にぴたりと合ったオリジナル健康法、「玄米・ごぼう汁基本食健康法」が生まれたのです。

ほんの少しずつの前進

この食事法を、私は毎日続けました。

一日に一度「玄米・ごぼう汁基本食」を摂ったら、あとは、りんごや柿などの果物、干し芋、無添加の胚芽ビスケットなど、体になるべく負担をかけない範囲で好きなものを食べました。

(詳しくは『マクロビオティックを巣立った後の食生活その2』参照)

熱は、一日中37度を超え続けています。そして四六時中息苦しい。起き上がればだるいので、横になっているしかありません。

ベッドの中で携帯型ゲームをするのが唯一の慰めでした。体を起こすことすらままならない私ができることは、それだけだったのです。

(詳しくは『PSP(携帯型ゲーム機)は病人の友』参照)

悲観することも

息がまともに吸えない中、心臓のあたりが痛くなったりすると、もうこのまま死ぬかもしれないと恐怖し、自分の体をこんな風にしてしまった後悔に涙が何度も流れました。

もういっそのことここで終わらせたい。この先の人生なんて見たくない。そう悲観したこともありました。

けれど、死んで棺桶に入った自分を想像すれば、悲しむ両親の顔が見えて、それもまた悲しいのです。

体はなかなか良くならない。だからと言って人生を投げるわけにもいかない。にっちもさっちもいかないとはこのことかと思いました。

もう私には、「玄米・ごぼう汁基本食」の力を信じて実践する道しか残されていませんでした。

玄米ご飯をよく噛んで飲み込み、野菜と海藻たっぷりのごぼう汁が胃に収まると、体の底から「ググッ」と音を立てて力が湧くのがわかりました。

ほんの少しずつでもいい。前進を積み重ねていけば、きっと、大きな回復につながっていく。

もう一度、健康になりたい。すがるような思いでした。

体調は、下げ止まったようでした。

一ヶ月後、小さな変化

そして一ヶ月が経過した頃、小さいながらも確実に変化が出てきました。一日のうち、30分は体を起こしていられるようになったのです。

この変化に、俄然勇気が湧いてきました。

いける。良くなってきている。

二ヶ月、三ヶ月と経つにつれ、起きていられる時間も一時間、二時間と延びていきます。

体力が戻ってくると同時に、真っ暗闇だった心に爽やかな陽が射しました。生きる希望が蘇ります。

この調子でいけば、きっと年内(あと三~四ヶ月以内)には治る。治してみせる。

弱った体に、情熱の炎が灯りました。

しかし、ことはそう簡単には進まなかったのです。

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