石畳の先に

謁見の間や庭園を鑑賞したら、庭に面した濡れ縁から秘密通路のような石畳を行き、その先の茶室を目指します。

↑坪庭の風情を楽しみながら……。

↑石の階段を上がっていきます。この石、とっても冷たくて、ストッキングを履いていた母が「足が冷たい! 苦痛!」と大騒ぎしていました。寒い時期にスカート姿でストッキングを履いて野村家へ出かける予定の方は、この石畳対策としてソックスも一枚持参すると良いかもしれません。
到着

↑到着! 短い廊下の、右手が「茶室」、左手が「控えの間」です。

↑「茶室」に隣接した「水屋」には係の女性が常駐しており、申し出れば茶室にて300円で抹茶をいただけます。私たちが行ったときには、お客さんのどなたも見学だけで、抹茶を召し上がってはいらっしゃいませんでした。
茶室

↑それでは茶室にお邪魔します。入り口は低く、身をかがめて入ります。

↑赤い敷物が目に鮮やかです。狭いですが落ち着けます。
二階から庭園を見下ろす

↑茶室の窓から外を見下ろしてみました。庭が見えます。

↑廊下を挟んで左手にあった「控えの間」の窓から見た庭。日本庭園は、一階から見れば綺麗だけれど二階から見るとイマイチ……となることがある気がしますが、野村家の庭園はどこから見ても楽しめます。
展示資料室「鬼川文庫」
「茶室」は四畳半、「控えの間」は六畳と、ともにこぢんまりした和室で、見学はすぐに終わりました。残すは資料展示室の「鬼川文庫」です。↓

(画像出典:武家屋敷跡 加賀藩千二百石野村家 パンフレット)

↑江戸時代の古地図や古銭、刀剣などが展示されています。

↑金沢らしく、九谷焼もありました。写真は、加賀出身の九谷庄三(くたにしょうざ:1816年生、1883年没)作の「大鉢」。

↑こちら、江戸中期の釜師、能都出身の宮崎寒雉(みやざきかんち:1712年没)作の「菊型手炉(きくがたてあぶり)」。ただ手を温められれば良いというのではなく、菊型にして見た目の楽しさも追求しているところが芸術だなあと思います。
野村家入館から34分
こうして、たっぷりと野村家を満喫。時間を気にせず思う存分見学しようとそれまで一度も見なかった時計に目をやると、11時10分。
意外にも、野村家に入ってからまだ34分しか経っておらず、野村家の見学に時間がかかれば諦めようと思っていた兼六園が射程範囲に……。
しかし! 金沢駅に13:00までに戻ってくるには、「11:18発」の兼六園行きバスに乗る必要がどうしてもあります。
バス停まで徒歩10分の道のりを、残り8分で戻らなければいけません!
その事実がわかり、私たちは慌てて野村家を飛び出しました。
バス停までひたすら急ぐ

(画像出典:google map 画像内矢印、線、文字は筆者)
↑還暦を迎えた母を走らせるわけにもいきません。元来た道を、ひたすら早足で歩きます。
そして、あと一つ横断歩道を渡ればバス停……というところまで来て、赤信号の足止めをくらいました。時間はすでに定刻の「11:18」。早く青信号になってくれ……と思ってジリジリしているところに、向こうからバスが来るのが見えました。
↓バス停にバスが停まります。ああーっ、あれに乗れないと、兼六園に行けない!!
バスに向かって走る
信号が青に変わると同時に、私はバスに向かって手を上げながら猛然と走り始めました。
車道へと発進しかけていたバスは、私に気づいたのかどうかはわかりませんが、動きを止めてくれました。
途中、植え込みの木の根に足を引っかけて転びそうになりながらも、バスに駆け込みます。続いて、母も乗車できました(結局、最後の最後で母を走らせてしまいました)。
ぜえ、ぜえ……。
間に合った……。
兼六園へ
間一髪とはこのことだと思いました。このバスに乗れなければ兼六園へは行けなかったので、本当に、乗れて良かったです。
こうして私たちは、金沢といえば真っ先に名が上がる超有名観光名所「兼六園」へ向かったのでした。(→「兼六園名物のことじ灯籠を撮影したつもりが間違えた」に続く)